酔いどれ編集長のクラフトビール飲みある記(33)番外編「村上 …
元号が平成に変わった年、僕は産経新聞社に入った。1991年、2年弱にわたる福島支局での人生初の地方勤務を終えて東京の本社に戻ってきた僕の配属先は運動部だった。最初はアマチュアスポーツやらプロ野球(主に須藤監督が率いていた大洋ホエールズが担当だった)やら多岐にわたる取材を命じられたが、プロ野球シーズンも終わり近くになった頃、ヤクルト・スワローズをメインに担当するよう言われた。その年、野村克也監督が率いて2年目のヤクルトは67勝63敗2分けで3位でシーズンを終えた。